昭和45年10月27日 夜の御理解
信心をさせて頂く者の幸せ、信心を頂く者の有難さと云うか、なるほど身に余るおかげを頂いて行くと云うことは、いよいよ有難いことですけれども、そうではないと云うこと。そうではないこと。云うならば、思いもかけない難儀なことに出合うとか、又は困ったとか嫌なことと云う様な事の中に、この有難さが分かることだとこう思う。あのね、この有難さは格別です。これはもうしみじみとした有難さなんです。ね、
只自分の思うことが成就して、いわゆる広大なおかげを頂いて居ると云うことは勿論有難いですね。有難いですけれどもね、いわゆる不如意と云うかねえ、自分の意のままにならないとか、いや特別にとりわけと、あの例えば難儀な問題が起きた時などですね、その事がもうほんとに思えば思う程、しみじみ有難うなって来ると云うこと。もう不思議なことですよ。信心をさして行く者の心の状態の中にね。
日頃の信心の稽古の賜、そういう、もうそういう有難さと云うのはね、もういわゆるしみじみとしたその有難さなんです。ですからもう信心をさして頂く者のね、あの喜びはもうここにあるのであり、もうこれに尽きるのではないか思われるくらい。ね、勿論そういう心の状態にほんとに思いもかけないと云うか、ね、ほんとに勿体ない程しのおかげを受ける事もまた事実なんですから。
そこのね、両方の面にその有難さが分かっていき、その有難さを追求して行く事。私はあのう最近あのう丁度今頃の時期に旅行致しますと、あれは昔はなかったですね、ああ云う花は、黄ない花がいっぱい咲いているでしょう。もう私はあれを見ると愛想もこそもなか感じがするとですよ。それこそもう、あれがですね、菜の花かなんかがね一面に咲いているのはね、なんとはなしにおんなじ黄ない花でも。
何とはなしになんかこううららかね感じがするでしょうが。ところがあれを見るとなんか嫌らしか、感じがするとです。けれどもほんとに私は今度の旅行中にもあの汽車の窓からね、あれを見せて頂いてから、何時の頃からかああ云う花が、まあ日本のあらゆるその空き地の様な所にいっぱい咲いてるが、折角咲いてるのにこんなに嫌らしいと思うて見たのじゃ相済まんと思うてね。
どうか有難くなる稽古をせにゃいけんな、美しいと云う見方をするおかげを頂かにゃいけんなとやっぱ思わにゃいけん。ね、そこにやっぱ精進せにゃいかん。したら昨日ですね、たまたまそこの便所に行きましたら、あの松の根元に誰かあれを取って来てあれを入れてあるんです。したら何かこう、あれは何かね、悪いことないですね。なんかこう、おみなえしなんかあんな花の感じでね。
かえってあれは秋の風情のある花だなとこう思うですから、あのもうほんとに嫌だなとかね、もうそれこそ面の憎らしいごとあると云うのでもですね、人間だからやっぱ思いますよね。けれどもそれがね、もうほんとにあのうそういうところが無くなって来ると云うことがね、そういう稽古をすると云うこと。これは事柄の上でも同じ事です。私はあのもう私はあのカーキ色と云う色は一番ふるふる好かん色でした。
もう子供の時から好きかじゃた、カーキ色と云うのは。それがどうですか、今は一番好きな色になっているですからね、私の。ね、ほんとにですね、嫌いな物が無いと云うほど素晴らしいことないです。だからね、やはり精進しなければでけん。神様のお恵に満ち溢れている物ばっかりなのですからね。事柄の上でもそう、色でもそう、いうならその花なら花でもそうです。もうほんとになんとはなしに愛想もこそもないごとある感じで居ったのが、その汽車の中で思うたんですね、
今ごろ何処へ行ったってあれがあるが、あれでむしろその秋の風情をああもう秋だなと感じる様な、あのすすきなんかがね、やっぱりあれはいいでしょうが、いくら沢山あっても。ところが私はあのこの方は知らんけれども、あの花ばっかりはどうもこう良いと思えなかったんですけどね。たまたま便所にあれを誰か取って来て挿して居られるのを見てから、やっぱり花だなとか、やっぱりいいなと云うことを感じるのですよ。段々こりゃ好きになって来るんじゃないかと私は思いますがね。
ですから、やはりそこに焦点を置いて、稽古せにゃいけません。もうすぐそこのそこに御神意があるのですから。ね、嫌いだと言うていたその嫌いな物の陰に宝物が隠されて居ってももうその宝物までも頂くことが出来ないことになります。もう私は信心さして頂いて一番有難いのはね、ほんとに信心も出来んのにこの様ににおかげを頂いてと云う有難さは勿論だけれど、それよりもっともっと有難いのはね、もうこのような例えば難儀な問題、この様な事柄の中にもね、もうしみじみ有難い。
もうその事に対してお礼が言わにゃ居れない程しのね、心が出来て来る事はね、もう信心のまあ一番素晴らしい境地じゃなかろうかと思います。やっぱり目指さにゃいけん。難儀な事が有難く思えなんてとにかく普通のことじゃでけません。けれども、そこが信心。稽古さして頂いてほんとの事が分かって来るとお礼を申し上げなければ居られない、もうそれこそしみじみとした有難さ、この有り難さは。ね、だから云うならほんとの有難さと云うことになるのじゃないでしょうかね。
どうぞ。